暁闇の君 サンプル
「カムイ、カムイ……起きなさい。もう朝だ」
「ん……うぅん……」
「もう少し寝かせてやりたいところだが、時間がないぞ。早く支度をせねば間に合わんぞ」
「……ん…?」
朝、カムイが目を覚ますと、目の前にいとおしい人が視界いっぱいに映った。そのいとおしい人こと、マークスは、いつまでも眠っているカムイに苦笑しつつ、その背を支えながら、起こしてくれる。
「そろそろ用意しないと軍議に遅刻してしまうぞ」
「わっ!も、もうそんな時間ですか!す、すみません。今支度しますから…!」
しばらく、愛しい人をぼんやりと見つめていたカムイであったが、それもしばらくすると意識がはっきりとしてきて、マークスに言われたことを理解して、カムイは覚醒した。
わたわたと準備をしようと寝台を降りるカムイであったが、彼女は自分が今だにネグリジェを纏ったままであることに気がついた。
さすがに、このまま外に出るわけにはいかないので、カムイは着替えをしようと思ったのだが、マークスがいつまでもこの場にいるため、どこか恥ずかしそうに彼を見る。
「あのぅ、マークス様…。着替えたいのですけれど…」
「いいぞ、ここで着替えても」
「なっ、な!何を言うんですか!そ、そんなのダメに決まってますよ!」
「夫婦なんだから、構わないだろう?それに…昨日も見ただろう」
「っ…!」
着替えるので、出て行ってほしいと言いたげな視線を向けたのだったが、マークスはとても楽しそうにカムイを見つめるばかりで、その姿はまるで彼女をからかって遊んでいるようにも思えた。この二人は仲のいい夫婦でもあるので、二人の間に何も起きていないなどということはない。
瞳を細めて、カムイをからかうマークスに、彼女は顔を真っ赤にさせながら、マークスの厚い胸板を押す。
「と、に、か、く!出て行って下さい!着替えます!」
「はは、カムイが拗ねる前に出て行くか」
「もうっ!なんでそんなに楽しそうにしてるんですか!」
昔から、深い眠りについてしまうことの多いカムイは、大人になった今でもそれはあまり変わらない。
まだまだ軍議に遅れるような時間ではないが、すやすやと安心したようにマークスの前で眠りに就くカムイが愛おしくて、いつまでも寝かせていたいのは本当だ。しかし、そんなわけにもいかないので、いざ起こしてみれば、赤くなったり、微笑んだり、照れたり、ころころと表情を変えて、マークスを楽しませる。
本当は、カムイをからかって拗ねさせるのも好きなのだが、それを伝えたらカムイはきっともっと拗ねてしばらく口を聞いてくれなくなるだろう。
大人しく、マークスは寝室から出ると、その隣に続いた書斎へと向かう。軍議に必要なものなどは、事前に臣下たちが用意して、まとめてくれている。
それに目を通すためにマークスは椅子に腰を掛けて、脚を組み、目の前に置かれた書類に手を伸ばす。
今ごろ、カムイは大慌てで着替えている頃だろう。からかって赤くなってしまったカムイの表情を思い出しながら、彼の口元が優しく綻ぶ。
マークスが書類に目を通してしばらくすると、寝室からカムイが出てきた。
それにマークスがちらりとカムイに視線を向けると、カムイは彼女らしい白の清楚なシャツに、ぴったりと細身のパンツを穿いていた。いつもならば、カムイはワンピースなどといった女性らしい服装を好んで着るが、今日は軍議に向かうということで、落ち着いた格好をしているらしい。
マークスはそんなカムイを手招いてみれば、彼女は嬉しそうな顔をして近寄っていく。まるで飼い主に呼ばれて喜んで駆け寄る犬のような反応に、マークスは思わず口元を綻ばせる。カムイにはあるはずのない尻尾が揺れているような気さえした。
「えっ、ええ。マークス様…」
「うん?」
カムイを手招いたマークスはというと、至って普通の事のように彼女の腰を引き寄せると、彼女を自らの膝の上に座らせて、その腹に腕を回す。当然ながら、カムイはそれに慌てるのだが、マークスは自然に行ったことなのでカムイが慌てる理由には気がつかない。
そうして、カムイが借りてきた猫のように大人しくしていると、二人がいた書斎の扉をノックする音が聞こえてきた。どうやら、そろそろ時間らしい。
「入れ」
「失礼しま……あっ、す、すみません。そろそろお時間ですので…」
「ああ、分かった。すぐに行こう」
「………」
軍議の時間になるからと知らせてくれたのだが、訪問してきた彼の臣下であるラズワルドは、マークスたちの姿に顔を赤くさせた。自分にも他人にも厳しいマークスの珍しい姿に驚いたのもそうであったが、いざ夫婦らしく仲睦まじいところを見せられるとこちらが恥ずかしくなってしまう。
それは、そうだろう。と、カムイは心の中でラズワルドに詫びながら、マークスの膝の上から降りた。しかし、離れ難いというかのように再びマークスの腕がカムイの腰に周る。
「マークス様、そんなにくっ付いてたら歩けません……」
「…それもそうか。では、行こうか」
カムイの言葉に、やっとマークスは彼女を離すと、いつも軍議を執り行っている作戦室へと向かう。
「マークス兄さん、カムイ姉さん。おはよう」
「おはようございます、レオンさん」
「ああ、おはよう」
「おはようございます。カムイ姉さん、マークス王子」
作戦室に向かえば、すでにレオンは着席していて、彼は目の前に地図を広げて、周囲の地形を確認しているようだった。地図の上に兵を見立てた駒を置き、戦術のシミュレーションをしているようだ。頭が良く、こういったことに慣れているレオンにとっては、お手の物のようだ。
そしてその隣には白夜の王子であるタクミがいる。カムイがどちらの国にも属さないと決めたあの日から時は流れて、今やこの軍は白夜王国と暗夜王国の兵たちが手を取り合って戦っている。
「すみません。遅れてしまって」
「いいや、僕たちが早く来ただけなんだ。皆まだ来てないから平気だよ」
「戦況を見て行軍について考えるのは得意だからね、任せてよ」
レオンとタクミの二人の目の前に、マークスとカムイの二人が着席すると、二人は先ほどまで広げていた地図を回し、マークスとカムイによく見えるようにした。
これから進軍すべき場所の確認だ。
「詳しい事は皆が揃ってから説明するけど、この先は道が険しくなっているからね。歩兵や騎馬は厳しい。天馬や竜を中心にさせた方がいいかもしれない」
「ほう。しかし、敵が弓などの兵器を用意していた場合は?」
「その時に備えて僕も共に行動するけど、僕の風神弓の加護だけでは大勢の兵たちは守れない。山道に慣れた者たちを一緒に行動させた方が賢明かと思います」
タクミが地図を指差しながら説明をしていると、作戦室の扉が開き、続々と両国の王子や王女、それから彼らの臣下たちが現れた。
両国の王族たちが軍議に参加するのは当然として、臣下たちはあまりその場に現れることはない。その機会を設けられても、いつも通りにしているものもいたが、明らかに緊張して動揺している者たちなどはいる。
「遅くなってすまない。皆揃ったか?」
「いいえ、僕たちが早く来ただけですから。皆、着席して下さい」
リョウマが皆に挨拶をしながら着席すると、それにレオンが気にしないでくれと言わんばかりに言う。リョウマは、地図を見ながら戦況を把握しているタクミをちらりと見て、今ではすっかり白夜の王子として皆を支えていることに瞳を細める。タクミはこれまで、猜疑心が強く、少しでも怪しい者がいれば、心の底からは信じることができなかった。それは、白夜を思うゆえの気持ちであるのだから仕方ないのだが、同年代のレオン王子や、もともとは白夜の王女であったカムイと過ごすうちに、それが変わって来たのだろう。
白夜のきょうだいの中ではタクミが一番状況把握に優れているとリョウマは思う。皆、少なからず持っている劣等感に足を取られることはあるのだが、タクミはそのような劣等感も払い除けて、仲間を、大切な人を守るという立派な志を持っていた。
「では、始めます。何か意見のある方は挙手をして発言して下さい。タクミ王子、よろしく」
「ああ」
レオンが皆を見渡して、口を開くと、それにタクミは手元にあった筆を手に取り、軍議の内容を書き記していく。いよいよ始まった軍議に、皆は表情を引き締める。
「ここから先の地形ははっきりしてない。癒しの術を使える者を小隊に必ず加え、纏まって行軍した方が被害は最小限に抑え切れると思います」
「そうね……特殊な地形に阻まれて、挟み撃ち…なんてことになったら困るわね。竜脈を扱える私たちをいかに分散するかに掛かっているかしら」
これから、カムイたちは本格的に透魔王国へと進軍し、道を正していく。
いよいよ戦いが本格的になってきたことに、カムイは思わず膝の上で拳を握りしめて、唇を噛みしめる。これから、カムイは大きな決断や後悔をすることになるだろう。これまで、カムイを守り命を散らしたもののことの思い、彼女は自らの拳に目を落とす。
とても小さくて、頼りない手だ。この手に、大勢の命がかかっている。カムイの決断ひとつで、時に兵をたくさん失ってしまう。カムイを失っては軍が決壊してしまうものだから、末端の兵に至るまで、彼女を守り、戦い続ける。
手だけではない、カムイの背にもたくさんの思いが詰まっている。
これからも、気を引き締めて行かねば、とカムイが一人思っていると、強く握り締めていた手のひらの上に、カムイのものよりも大きな手のひらが乗った。
マークスの手のひらだった。
「カムイ」
「マークス様…」
手を握って、何も言わず、ただ名前を呼んでくれただけなのに、彼女の胸は暖かくなり、涙が出そうになった。
マークスはカムイと見つめ合うと、優しく微笑む。そんな二人の様子に、カミラは瞳を細める。いつまでも仲が良くていいことだが、今は大事な軍議の最中である。
「うふふ。仲がよろしいこと…」
「はっ……ご、ごめんなさい。皆さん…」
「いいのよ。幸せそうなあなたを見るのはとっても大好きだから」
カミラはにこにこと笑顔だが、一部の者たちは、仲睦まじい二人に顔を赤くさせていた。マークスがカムイを寵愛していることは、皆承知しているのである。
そんな二人の様子に、レオンは一つ咳をすると、口を開いた。
「……今日は午後から模擬戦をするから、時間になったら集合してね。それぞれの臣下たちも皆に伝えて、連絡を怠らないように」
「はい!」
「了解した」
リリスの作り出したこの城はとても広く、皆が戦を想定して訓練を行うことができる。だいたい、大勢でまとまって訓練を行うことはないのだが、戦を控えた中、鍛えておくに越したことはない。
それにより、臣下たちも軍議に出席していたというわけなのだが、彼らはレオンの言葉に頷くと、それぞれ表情を引き締めた。マークスにはラズワルド・ピエリ、カミラにはルーナ・ベルカ、リョウマにはサイゾウ・カゲロウ、などといった臣下たちがついているが、彼らの下にもたくさんの兵たちがついている。
「では解散します。また後で集合しましょう」
タクミが号令を掛ければ、皆は一旦解散ということで、それぞれの宿舎や居室に戻って行った。
少しずつ人がいなくなる中、カムイだけはこれから進軍する透魔王国の地図をじっと見つめていた。まだ、この透魔王国でどんな存在が待っているのか、どのような敵がカムイたちを待ち受けているかなどは、分かっていない。すべての戦いを終わらせたとき、ここにいた皆が全員揃っていて欲しい、とカムイは一人まぶたを閉じる。
彼女の隣に座っていたマークスはそっとカムイの頭に手を乗せると、ゆっくりと優しく撫でてやる。
「……最近、考え事が多いな」
「はっ…す、すみません…」
「謝らせたくて言っているのではないぞ。何も考えないよりは、しっかり悩んで答えを出した方がいい。…ただ、その話を私も共有しても構わないというのなら、聞かせてくれないか?」
「…マークス様…」
優しい声がカムイの心に落ちていく。その言葉だけでも嬉しくて、カムイはふたたび瞳が潤んでいく。
「……ときどき、怖くなるんです」
「怖い?」
「確かに、白夜と暗夜のしがらみを解いて、この世界のすべてを正すのには私の力が必要かもしれません。けれど…私を庇って亡くなる人が出るたびに……私、そんなにすごい人じゃないのに…って思ってしまって…」
「……ふむ」
これまで、カムイを守って命を落とした戦士たちのことを思い、カムイは俯く。そんな彼女に、マークスは眉間にしわを寄せる。
マークスとて、人の上に立つ人間だ。上に立つ者は、先に死んではならない。マークスとて、誰かに庇われたことも何度もあった。
北の城塞で穏やかに暮らしていた姫は、外の世界に出てうつくしく成長し、仲間や伴侶に対する愛を知った。
瞳を潤ませるカムイを見ながら、マークスは彼女を抱き寄せる。
「……そうだな。私も命を救ってもらったことは何度もあるぞ。だがな……カムイ。命をかけて庇ってもらったということは、その者の意志を引き継ぐということなのだ。その者にも、家族や仲間に対する想いがある。それを……私たちは受け継いで、戦っていかねばならん」
マークスの言葉をゆっくりと聞いていたカムイは、こくりと頷く。これまでカムイを守ってくれた人たちにも、愛する家族や仲間がいたのだ。カムイがマークスを守りたいと思うように、彼らにも守りたい存在がいた。
涙をこらえるようにまばたきを繰り返すカムイの頭をもう一度撫でて、マークスは優しい声で彼女に語りかける。
「…もしも…それが重くて、一人では持ち切れぬというのなら……私やカミラ、レオン、エリーゼ…白夜の王子たちに話したっていい。一人で抱え込まず、話してみるんだ。優しいおまえだから、申し訳ないことをしたと思っているのだろう……?申し訳ないと思うのなら、まずは少しずつでいいから顔を上げてみよう。…カムイ、おまえ一人が悩む必要はない」
抱き寄せられて、耳元で優しい低い声がカムイの中に入り込んでくる。
カムイの瞳に溜まっていた涙が、ひとつふたつ、粒となって溢れて彼女の頬を伝っていく。それにマークスは仕方がなさそうな笑みを見せると、彼女の背中をさすってやる。
カムイはとても真面目で、心優しい女性なのだ。仲間を守るためならば、どんなに自分が傷付いても構わないと思う反面、仲間が傷付くことに対してはとても臆病だ。
本当は、カムイをいつまでも背中に隠して、彼女には安全なところにいてほしいと、マークスは思う。けれど、カムイの背中には羽根が生えているのではないかと思う程、彼女は軽々と大地を駆けて、歩んで行く。
「カムイ、そろそろ泣き止ん……」
「ああっ!マークスおにいちゃんがカムイおねえちゃんを泣かせてる!」
「え」
そろそろ泣き止んでくれないだろうか、とマークスが困り始めていた頃だった。いつまで経っても作戦室から出てこない義姉を不思議に思ったのか、エリーゼがやってきた。エリーゼからしたら、カムイがマークスの腕の中で泣いていたものだから、そう勘違いしてしまったというのだ。
「エリーゼ、カムイはお兄様と喧嘩をしたわけじゃないのよ。悩みを聞いてもらっていたのよ」
「えっ、そうなの?おにいちゃんが泣かせたのかと思っちゃった…ごめんなさい、マークスおにいちゃん…」
一緒についてきたらしいカミラがエリーゼに言うと、エリーゼは瞳を丸くさせて謝った。
カミラとエリーゼの登場に、カムイはマークスに抱き寄せられていたことに顔を赤くさせつつも、彼の腕の中から離れた。
「エリーゼさん、すみません。心配をかけてしまって……マークス様にお話を聞いて頂いていたんです」
「おねえちゃんとおにいちゃんは仲良しだもんね。でも、あたしにも話に来てもいいんだよ?難しいことはわかんないけど、あたしもいっしょに悩むことはできるよ!」
「カムイ姉さんとエリーゼが一緒に悩んでたらいつまでも解決しなさそうだけどね」
「あっ、レオンおにいちゃん、ひどい!」
「うふふ…」
いつの間にやってきたのか、レオンも作戦室に戻ってくると、優しいきょうだいたちにカムイの顔がほころぶ。
やっと笑顔を見せたカムイに、マークスもまた瞳を細めて笑う。
「さぁ、兄さん、姉さんたち。これから模擬戦だからね。しっかり準備して来てよ。僕は手加減はしないからね」
「そうね…うちの子たちも張り切ってしまうわね」
「あたしだって、最近魔導書の扱いうまくなったんだよ?もしかしたら、レオンおにいちゃんに勝てるかも」
「言うね、エリーゼ。誰が魔導を教えたと思ってるんだ?」
「レオンおにいちゃん!」
「僕が魔導で負けるはずがない。……まぁ、エリーゼに才能があるのは認めるけどね」
今日は皆で大々的な訓練をするのだからと、張り切っているようだ。カムイもまた、しっかり気を引き締めて行かねばと瞳を閉じた。