眠りに落ちるその瞬間

 閉じた瞼の奥にあたたかくて優しい光が差し込んできて、それにカムイは目を覚ました。
 ぼんやりとする視界の中、何度かまばたきを繰り返していると、外から元気な子どもの声が聞こえてきた。

「ととさま――!あそんで!」

 子どもらしい、明るい声で父を呼ぶ声は、とても聞きなれた声である。母親譲りの黒い髪を持ち、幼いながらに父親によく似た顔つきをしているその子は、他でもない、カムイとその伴侶の間に生まれた子であった。
 その元気な声にカムイはくすくすと笑い、身体を起こそうとするのだが、自分の身体がやけに重くて動かないことに気がついた。それに、頭のあたりがぼんやりとして、熱くて、はっきりしない。
 間違いなく、風邪を引いてしまったのだ、とカムイは確信すると、仰向けに寝ていた身体をどうにか横向きに体勢を変えたのだが、少し動いただけで、疲労を感じてしまって、カムイはため息をついた。

「シノノメ、少し待て。これからカムイの様子を見て来なければならん」
「かかさま……いたいの?」
「ああ、痛いんだ。だから、カムイが良くなるように見てくるんだ」

 襖の向こうから、伴侶であるリョウマの声が聞こえる。どうやら、シノノメは父に遊んでもらいたかったらしく、リョウマの姿を探していたのだという。
それをリョウマに止められたことで、どこかしょんぼりと表情を暗くさせた。しかし、母であるカムイが具合を悪くしているということを幼心に知ったシノノメは、リョウマが手にしていた盆に手を伸ばそうとした。

「ととさま!おれもてつだう!」
「ああ、手伝うのは構わんぞ。きっとカムイも喜ぶしな。では、シノノメはこれを持ってくれ。カムイの体調が良くなるための大事なものだ。落とすんじゃないぞ」
「うん!」

 リョウマが手にしていた盆に乗せられていたのは、ほかほかと暖かそうに湯気を立てた粥であった。リョウマにとっては、全然重たくもないものだが、幼いシノノメが持つには重いものである。
 代わりに、一緒に乗せていた薬の入った袋をシノノメに手渡すと、シノノメはとても大事そうにそれを抱えた。

 そのような声を遠くに聞きながら、カムイは熱による怠さで、うとうとと夢と現のふちを彷徨っていた。
 カムイが眠りについてしまった頃、彼女が眠る部屋にやってきたリョウマとシノノメは、そっと襖を開けて中に入ってきた。案の定、すうすうと寝息を立てているカムイにリョウマは瞳を細めると、粥の乗せられた盆を畳の上に置いた。
 眠るカムイの頬は発熱しているためにだろうか、少し赤くなっている。リョウマは、カムイのこめかみに浮かんでいた汗を手拭いで拭いてやると、その感覚にだろうか、カムイがゆっくりと瞳を開けた。

「…すまん、起こしてしまったか」
「……リョウマさん……すみません、動けなくって…」
「いい。朝から発熱しているのは知っていたんだ。食欲はあるか?」
「…少しだけなら」
「そうか…起きられるか、カムイ」

 リョウマと目が合ったカムイは、まだ意識がぼんやりとするのだろうか、怠そうに欠伸を一つした。
 彼に背中を支えられながら、身体を起こしたところで、カムイの目に入ったものは、うるうると瞳に涙を溜めたシノノメの姿だった。
 さすがのそれには、カムイとリョウマの二人は驚く。カムイが驚きながらも、シノノメを手招きすると、シノノメは勢い良くカムイに抱きついた。

「かかさま、いたいの?」
「ああ……シノノメ、不安にさせてごめんなさい。少し熱いだけなんです。今日はあなたと一緒に遊べないけれど、今度、いっぱい遊びましょうね」
「…やくそく」
「はい、もちろん」

 小さな指を差し出してくるシノノメに、カムイは瞳を細めながらも、その指先と自らのそれを絡ませる。
 ぶんぶんと手を振り回す勢いのシノノメにリョウマは苦笑する。

「こら、シノノメ。カムイが食事を摂れんだろう」
「ご、ごめんなさい…」
「シノノメ、ちょっとだけ待っててね。お薬を飲んだら、絵本を読んであげましょうね」
「いいの!?」
「ああ…カムイ。寝ていなきゃだめだろう…」
「ふふ、こんなときでないと、シノノメとゆっくりできませんもの…風邪を移してしまったら大変なので、ずっとそばについていてあげられないのは残念ですけど…」

 カムイが食事を摂るために、リョウマはシノノメに言うと、シノノメはとても残念そうに、しょんぼりとしたままカムイから離れた。
 そんなさびしそうにしているシノノメを見ては、カムイとて心が痛むものである。思わず、カムイがシノノメに言うと、案の定、シノノメは嬉しそうに笑ってくれた。
 しかし、朝起きるなり、カムイが苦しそうに呼吸を繰り返し、その身体に熱を溜めてしまっていたところを見てしまったリョウマにとっては、たくさんの休息を取って、元気な姿を見せてほしいと思うのだ。

「カムイ、熱いから気をつけるんだぞ」
「はい、いただきます」

 早く絵本を読んでほしいとせがむシノノメを抑えながら、リョウマは蓮華で粥を掬って、それをカムイに向ける。見るからに、食べさせようとしている彼に、カムイはたじろぐ。

「あ、あの。リョウマさん」
「うん?なんだ」
「このまま…ですか?」

 熱いからと、ふうふうと息を吹きかけた後、それをカムイに差し出す姿は、自分がどんな行動をとっているかはよく分かっていないようである。
 そんなリョウマに、カムイは顔を赤くさせつつも、差し出された蓮華に唇を寄せる。少し熱かったが、口内に広がる優しい味に、カムイの表情は和らぐ。

「…おいしいです」
「…よかった。おまえに早く元気になってもらいたくて作ったんだ」
「そうだったんですね…ありがとうございます、リョウマさん…」
「あ、ああ…」

 リョウマの優しさにカムイは胸があたたかくなり、それにより瞳を細めて笑う。その愛らしい表情に、リョウマは年甲斐もなくどきりと胸を高鳴らせてしまい、照れ隠しで俯いた。そして、俯いた先に見えたシノノメに、リョウマは声を上げる。

「シノノメ……寝てしまったか」
「退屈だったんでしょうね…早く元気になって、シノノメとたくさん遊ばないと!」
「…その意気だ。早く元気になってくれ…具合の悪そうなおまえを見ていると心臓に悪い」
「リョウマさん…」
「起床してすぐ、熱でぐったりとしているおまえを見て…俺はとても驚いたんだぞ。驚いたどころではない…息が止まってしまうかと思った。シノノメが起きたら俺が本を読んでやるから、ゆっくり休むんだ…ほら、粥もたくさん食べてくれ」
「ん……」

 再度、カムイに蓮華を差し出すリョウマに、彼女はおとなしくそれを口にした。
 カムイが食べる姿を見ながら、リョウマは瞳を細める。しっかり食事を摂って、たくさんの睡眠をとれば彼女の熱も次第に引いていくことだろう。

 食欲がないだろうことを見込んで、少量で作ってみたが、そのようにして正解だった。土鍋に入った粥をすべて平らげたカムイに、リョウマは水の入った器を差し出す。

「もう少ししたら薬を飲もうな」
「……苦い…ですよね?」
「……苦くない薬などあるか」
「…うぅ…」
「ははっ…そういうと思ったんだ。カゲロウに頼んで、果実水を用意してもらったんだ。薬を飲んだらそれを口直しに飲めばいい」
「…リョウマさん…!」

 いまだに、シノノメがぎゅっとにぎって離さない薬の袋の中には、熱さましの薬などが入っている。
 それはもちろん、甘い薬なんてものはない。
 薬の独特な苦みが嫌いなカムイにとっては、あまり飲みたくないものである。
 部下に頼んでまで用意してしまうのは、彼女が何よりも大切だからゆえなのかもしれない。



 薬を飲んだあと、カムイは再び横になると、隣ですうすうと眠るシノノメを見ながら、微笑んだ。

「さあ、カムイ…少し眠るといい」
「はい……」

 熱によるだるさがあるのか、今にも眠りに落ちそうな彼女を見つめて、リョウマは瞳を細める。
 熱により、まだ少し顔も赤いが、栄養を摂って、睡眠を取れば翌日には熱もだいぶ引くことであろう。



 眠りに落ちるその瞬間、カムイの手は大きな手のひらに包まれた。それは、カムイが何よりも大好きな、あたたかな手のひらであった。
 そのぬくもりに心が落ち着くのを感じながら、カムイはゆっくりと瞼を閉じた。


「おやすみ、カムイ……」



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