まだ、このままで
*北の城塞時代のマクカム(マークス:二十歳くらい、カムイ十歳くらい)です
「………」
ここは、王城から離れた位置にある城塞である。
その城塞のとある一室にて、マークスはベッドの脇に置かれた椅子に腰を掛けて、その上で眠る少女の姿を見つめていた。
ふわりとベッドに広がる白銀の髪は、カーテンの隙間から差し込んだ月の光に照らされて、より一層輝きを増しているような気がした。
少女が身じろいで寝返りを打てば、髪がしゅるりと頬の上を滑り落ちていく。そのふっくらとした頬は、いつも以上に赤みを帯びている。
まるで、幽閉するような形で一人の少女――…カムイを城塞に置き始めてから、数年の時が経った。
初めて会った頃は、暗夜の深い暗闇と心の拠り所が無い為に、カムイは毎日泣いて過ごすばかりであったのだが、それも数年経つうちに、王城で暮らすきょうだいたちや、この城塞で働く者たちに慣れてきたのか、泣くことはあまりなかった。
元々控えめな性格なのか、それとも自分の立場に無意識に気がつき始めたのだろうか、カムイがわがままを言うこともほとんどなかった。
そんなカムイが、珍しくわがままを言ったのは、今より一刻ほど前のことである。
城塞に訪れたマークスは、あまり長居は出来ないからと、その日は早めに王城に戻るつもりだった。しかし、マークスと久々に会えたからだろうか、いつもよりもカムイがはしゃいでいるとは思っていたのだったが、マークスが王城に戻るためにカムイに別れの挨拶を告げようとしたら、カムイは落ち込んだような暗い表情を見せて、マークスを困らせた。
いつもはそのようなことはしないため、珍しいものだと思っていたら、突然カムイがその場に崩れ落ちるように倒れたのだ。マークスが慌ててカムイに触れてみれば、彼女の身体はかなり熱かった。
発熱によりカムイが心細くでもなって、わがままを言ってしまったのかもしれないと思うと、マークスは他の予定を投げ打ってでも彼女の傍にいることを決めた。
無論、そんなことをすればマークスが咎められることは分かっているのだが、珍しくわがままを言ったカムイの傍にいたかった。
だいぶ落ち着いてきたのだろうか、穏やかな寝息を立てて眠るカムイの姿に、マークスは瞳を細める。
その寝顔はどこか幼げで、汗により張り付いた前髪をそっと掻き分けてやれば、身体の熱と、マークスの指先の体温の違いに驚いたのであろうか、眠りに就いていたカムイは、まぶたをぴくりと動かした。それに、マークスはまずいと思ったが、そんな彼の思いも叶わず、ようやく穏やかに眠りに就いたはずのカムイは目を覚ましてしまう。
ゆっくりとまぶたを開けて、宝石のようにうつくしいその瞳でこちらを見上げてくる様子に、マークスは申し訳なさそうに眉を下げる。
「す、すまない…起こすつもりはなかったんだが」
「……」
「起こしておいて悪いが…具合はどうだ…?」
「……頭がぼんやりして…」
「そうか…水は飲めるか?ん、無理に身体を起こさずともよい…起こしてやろう」
「にいさん……」
まだ熱のせいでだるさを感じているのであろう彼女の背中に腕を回し、マークスはカムイの華奢な身体を起こしてやる。
触れたカムイの身体は、きちんと食事を摂っているのかと不思議に思ってしまうほど、細く軽かった。
カムイに水の入ったグラスを渡すと、彼女はこくこくとそれを飲み始める。その姿にマークスは瞳を細める。
この少女、カムイとマークスの関係は、義理の兄と妹という関係であった。しかし、血がつながっていないということを知っているのはきょうだいの中でもマークスだけで、カムイはそのことを知らない。
ゆえに、彼女はマークスを本当の兄だと思っている。
「…食欲はあるか?」
「………」
「食事を摂らねば薬が飲めない…少しでもいいから、食べてはくれぬだろうか」
背中を支えられたままぼんやりとしているカムイに、食欲はあるのだろうかと聞いてみると、彼女はゆっくりと首を横に振る。食欲がないのならば、無理をさせることは出来ないが、少しでも食べなければ薬を飲むことができない。
カムイが少しでも好んだものを用意してやりたい、とマークスは思考をめぐらせながら、カムイの手の中からグラスを受け取り、彼女の少し赤らんだ頬に触れる。
とても大切なものに触れるかのように、指先でそっと触れてやれば、カムイは驚いてしまったのか、その大きな瞳を丸くさせてマークスを見上げた。
それは、無理もない。兄だと思っている男にいとおしげに触れられたものだから、カムイの頬は熱のせいだけではない熱さを持ち始める。
「に、兄さん……」
「少し熱が上がってしまったか…? それならばなおのこと、食事を摂って薬を飲まねばな…」
きっと、熱を上げてしまったのはマークスのせいだろうと考えられるというのに、彼はそれに何も思うことはなく、カムイの頭を撫でる。
カムイはもう少しで十歳になろうかというくらいの歳で、マークスはすでに成人しており、カムイとは十ちかくの差がある。ここの城塞に暮らしている使用人たちもいるのだが、マークスの存在は、カムイにとっては血のつながった兄ではあるが、初めて身近に感じる異性でもある。
頬に触れられたことにより、カムイは頬を赤くさせていたのだが、それにマークスは気が付くと、どこか気まずそうにカムイの頬から指先を離した。
このようなこと、カムイのような歳の少女にすべきことではなかったかもしれない、しかし、この少女が大切なのは確かなことなのだと、マークスは一人思いこむ。
「…あとで、なにか食べやすいものを持ってこさせよう…それまで、少し眠るか?」
「……はい。すこしだけ…」
「眠るまで、この兄が傍にいてやろう…カムイ、手を」
「………」
少しでもカムイに眠りに就いてもらって、休ませてやらねばとマークスは思うと、カムイの小さな手のひらに自分のそれを合わせて、優しく握りこんだ。
普段、剣の鍛錬に明け暮れるマークスの手のひらは、肉刺だらけで、皮膚は厚く、カムイのものと比べると、指の太さも全然違う。
しかし、そのぬくもりはあたたかく、大きな手のひらに包まれて、カムイの頬はふたたび赤らんでいく。
「…早く、良くなるといいな……カミラも、おまえにしばらく会えないと落ち込んでいたようであった…」
「カミラ姉さんが……?」
「ああ、そうだ。きょうだいみんな、おまえの体調が良くなることを待ち望んでいる……だから、ゆっくりと休もう…」
瞳を細めて、マークスが優しく微笑むと、カムイはにこりと花のようなかわいらしい笑みを浮かべた。
心の奥でくすぶる感情にも、マークスは気が付かないふりをしている。ただ、この子が守るべき存在であると、無意識に思っているだけなのだから。
いまはまだ、このままで…。
穏やかに寝息を立て始めた義妹の姿にマークスは愛おしげに見つめると、その白い頬にそっと口付を落とすのであった。
更新日が11/23なので、いい兄さんの日マクカム…と無理矢理いいはるお話でした。城塞時代の兄さんの片想いもいいよ……