琥珀色の夜

 ※現代パロディです。


 時は十月も末、そろそろ冷え込みが厳しくなってくる頃である。帰り道も暗くなってくるある日の事、ひとりの少女がどこか嬉しげな表情をして鼻歌をうたいながら、とあるマンションのキッチンに立っていた。
 レースがあしらわれた可愛らしいエプロンを身に着けていた少女は、ぐつぐつと煮込まれる鍋の中を気にしながら、さきほどからちらちらと時計を眺めて、時間を気にしているようだ。いったい、何を気にしているのかと言うと、それは彼女の表情で一目瞭然であった。

「…そろそろ、帰ってくるかな…」

 火加減を気にした彼女は、それを弱めながら、再度時計を確信して、傍に置いていたスマートフォンを手にする。画面に映し出されるメッセージに、わくわくとそれを操作し始める。

 年の頃は二十歳に行くか行かないかというくらいだろう。まだ幼げな一面も残っており、少女から女性に変わり出すであろうとも思われた。
 そのまま、スマートフォンをいじっていた彼女であったが、しばらく画面に夢中になってしまっていたことに気がついて、あわてて鍋の火を止めた。
 この料理を焦がしてしまったら、せっかく張り切って準備をし始めたということが台無しになってしまうところであった。
 そうして火を止めた彼女は、突然鳴り出したそれに気が付いて、耳にあてて唇を開く。

「…はい!」
「カムイ……私だ。そろそろ帰るから、連絡しておこうと思って電話をした」
「あ…楽しみに待ってますね。気をつけて帰ってきてください」
「ああ…くれぐれも私が帰ってくるまで、誰かが来てもドアを開けたりするんじゃないぞ」
「もう……いつまでも子ども扱いして…私だってもう大学生なんですよ。子どもじゃないです」
「…子どもではない、か……」

 電話の相手は、今ここにいる彼女――…カムイの恋人であった。
 カムイよりも年が離れていて、すでに彼は働いているのだったが、大人で余裕のある彼と、少し背伸びをしている彼女は、似合いの二人でもあった。

「あ…マークスさん。ご飯作って待ってますから……」
「食事を用意してくれているのか…ありがとう。すぐに帰らなくてはな」
「ふふ…マークスさんったら……」

 恋人、マークスと楽しそうに話す彼女は、とても幸せそうに見えた。
 明日は休日ともいうこともあり、カムイは彼の家に泊まることになっていたのだ。普段、真面目な彼は、カムイの生活に支障が来すようなことがあれば、それをよしとはしなかった。明日も休日なら、ということで、カムイは彼に渡されていた合鍵を使用して、部屋にやってきていたのだ。

「では、また後でな」
「はい、気をつけて帰ってきてくださいね…」

 そうして、カムイは電話を切ると、そのままスマートフォンを抱えたまま、嬉しそうに破顔する。
 これから、マークスが帰宅するのだ。カムイは張り切って、再びキッチンに向かう。

 今宵は、少し特別な日だ。
 とっておきの合言葉を持って、彼に問いかけてみよう。二人だけの、秘密のハロウィンだ。






「……カムイ、カムイ。ソファで寝てしまっては風邪を引くぞ…起きなさい」
「……? ん……わわっ!」
「驚かせてしまったか…すまない。しかし、このまま寝ていたら風邪を引いてしまうかと思って、起こしてしまった」

 今より少し前、食事の支度をし終えたカムイは、それまでの疲れからか、少し休むつもりでソファに横になったのであった。そして、目を覚ましたかと思えば、すぐ目の前には恋人のマークスがいる。
 彼が帰ってきたら、玄関先で迎えるはずであったのにと、彼女は唇をつぐんでしまう。

 そんな彼女の様子に、マークスは瞳を細めて笑っている。

「…昨日は遅くまで大学にいたのだろう? 疲れてしまうのも無理もない……」
「わ、私、マークスさんをお出迎えするつもりだったのに…」
「…ふふ、随分と愛らしいことを言ってくれるな…よいのだぞ。あどけないおまえの寝顔を見られただけで、充分だ」
「うぅ……」

 いつもこうやって、マークスには勝てない。もう少しだけ彼に近付きたくて、精一杯背伸びをしているが、最近はそれが空まわっているような気がしてならない。
 カムイはむくりと身体を起こすと、マークスに笑みを向ける。

「マークスさん、お腹が空いてますよね? ご飯、作ってたんです。ご飯にしましょう」
「ああ…作って待ってくれていたんだな。ありがとう…先に食事にするか」
「はい! あ、そこで待っていてください! 今持ってきますから!」

 ぱたぱたとキッチンに駆けていくカムイを見つめながら、マークスはソファに腰を下ろし、その場でふうっと息を吐いた。
 今日一日だけではあるのだが、こうしてカムイが自宅にいる光景というものは、なんとも言い難い幸せに浸れる。
 キッチンの奥から、カムイの鼻歌が聴こえる。楽しそうな彼女に、マークスも思わず瞳を細めてしまう。

 そしてしばらくして、カムイが戻ってくると、ほかほかと湯気を立て、食欲を誘う料理を並べ始める。
 確か、カムイとこうして付き合い始めた頃は、彼女は料理はあまりしたことがなく、どちらかというとマークスが彼女に料理を振る舞うことの方が多かった。しかし、今では料理の腕も磨いたのか、ときどきこうして食事を作ってくれるようになった。女性らしいデザインのエプロンを身に着けて、キッチンに立つ姿は、なんというか、マークスの心をくすぐる。
 まあ、彼女にどんな想いを抱いているかは置いといて、せっかく彼女が心を込めて支度してくれたのだから、まずはそれを味わいたい。





 カムイと楽しい夕食の時間を過ごしたマークスは、二人でソファに隣り合って座り、二人でより添っていた。そばにあるカムイの体温が心地よく、マークスは、彼女の腰を引き寄せて、その胸に抱いた。

「きゃっ…」

 突然、マークスに抱き寄せられたカムイは、頬を赤くさせて、彼を見つめる。

「せっかく遊びに来てくれたのだ…少しでもおまえと一緒に時を過ごしたい」
「あっ……ま、待ってください…今日は、マークスさんに伝えたいことがあって……」
「うん?なんだ…改まって…」

 そのままカムイの背中に腕を回し、そこを撫でようとする彼の腕を抑え、彼女はもぞもぞと腕の中から抜け出す。離れていくカムイのぬくもりに、彼はわずかに顔をしかめる。

 そして、カムイはおずおずとマークスに向かい合うと、頬を赤く染めながら両手を広げて、彼に満面の笑みを浮かべる。

「……Trick or Treat!」
「…………」

 カムイが言い放った言葉に、マークスは瞳を丸くさせて、黙り込んだ。その彼の様子に、カムイはあわあわと慌てた表情になり、様子を伺っている。

「あ、えっと、今日はハロウィンだから…言ってみたかったんです…」
「…そういえば、帰宅途中、仮装をした人とすれ違ったな……ん、菓子だったか。ほら…帰りにおまえが喜ぶんじゃないかと思って買ってきたんだ」
「あ、あ、ありがとうございます……」

 ハロウィンでお馴染みの台詞をマークスに言ってみれば、彼は特に驚くこともせず、仕事用の鞄から出て来るにはふさわしくない可愛らしい包みをカムイに手渡した。ジャック・オー・ランタンが描かれたそれを受け取ったカムイは、まさか本当に菓子が貰えるとは思っていなかったのだろうか、ぱちくりと瞳を丸くさせている。

「どうした。そのような顔をして…もしや、私が菓子を持っていないと思っていたのか」
「だ、だって…今日もお仕事だったから、気づいてないのかと思って…」

 マークスが菓子を渡してきたことに、カムイはあっけにとられてしまい、瞳を丸くするばかりだ。
 そんな彼女の様子に、マークスはくすくすと笑うと、カムイの耳元に唇を寄せて、その耳たぶに軽くキスをすると、そのまま囁き始める。

「Trick yet Treat.」
「………へっ?」

 耳元でささやかれた言葉に、カムイは驚いた表情を浮かべて、マークスを見つめる。彼のその表情は、瞳を細めて、何かを企んでいるようにも思えた。
 しかし、彼の言った言葉は、カムイは聞いたことがない。その意味を問おうと思い、彼の手を求めて自らのそれを伸ばしたか、カムイよりもずっと大きい手のひらに手首を掴まれて、動けなくなる。

「え、あっ…マ、マークスさん…!」

 カムイが驚いているうちに、彼女の身体はマークスによって押し倒されて、いつの間にか彼を見上げる形になっていた。
 いったい、なぜ、と言わんばかりにカムイがマークスを見ると、彼は自らのシャツの首に巻いたネクタイを片手で外しながら、口元を緩める。

「…知らなかったのか。Trick yet Treat.の意味を……」
「え、えっと……」
「……菓子は必要ない……ただ、おまえにいたずらをしたい」
「……………!!」

 外したネクタイをカムイの両手首を巻きながら、彼女を拘束し始める。しかし、力を込めて拘束しているのではなく、それを外したいというカムイの意識があれば、容易に外せてしまうものだ。
 それを外さないと言う事は、何を示すのか……


「……良いのだな。いたずらをしても…」
「…っう……!」


 久々にマークスに会うということで、今日のカムイはいつもよりも服装に気を遣っていた。ニットの裾を捲り、肌をあらわにさせれば、マークスが見たことの無い色の下着が顔を覗かせる。
 それに、カムイはかっと顔を赤くさせて、マークスの這いよる手のひらに耐えているようだ。

「……存分にいたずらをしてもいいようだ……あまりこのようなイベントには興味はないが…こういう夜もいいものだ…」
「…っ……」

 少しずつ手のひらが上がり、カムイの肌が粟立っていく。その言いようのない感覚に、彼女は甘く息を吐く。

 覗き込んだ彼の瞳の中に、獰猛なけもののような表情を見つけて、カムイは息を飲む。
 少しずつ上がってしまう声に、カムイはそれをどうにか抑えようとしながらも、マークスに身をゆだねるのであった。





※ハロウィンには間に合いませんでしたが、ハロウィンネタマクカムと言い張ります。
 Trick yet Treat.(お菓子はいいからいたずらさせろ)

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