手のひらに込めたキスの意味


 執務室の机に向かい、難しそうに眉間にしわを寄せ、何かを考えているような様子の男がいた。
 その彼とは、暗夜王国の第一王子であるマークス王子であった。マークスは、いつものように書類に手を伸ばし、それらに目を通しているのであったのだが、書類に手を伸ばす頻度は少なく、時折ため息さえついている。
 いったい、何が彼を悩ませているのだろうと、マークスに用事があって執務室までやってきていた彼の部下・ラズワルドは、入室するべきか、後で伺うか困っていた。
 うろうろと、扉の前で困り果てていたラズワルドの背中を押したのは、同じくマークスの部下であるピエリであった。

「ラズワルド、なにをしているの?」
「あっ…ピエリ…。マークス様に用事があって来たんだけど、なんだか難しそうな顔をしていらっしゃるから、出直そうかと思って」
「ほんとなの。マークス様、いつもより難しそうな顔をしていらっしゃるの」
「仕方ない。あとで伺おう…」

 なにか悩み事があるというのなら、それを邪魔するわけにはいかないだろう。そう思ってラズワルドとピエリの二人はその場を離れようとするのだが、わずかに扉を開けたまま、その場でうろうろと留まっていただろうか、マークスがおもむろに立ち上がり、こちらへ向かって歩き始めた。
 それに、ラズワルドは間違いなく怒られると思って、無意識に姿勢を正す。いつもはノックをして、マークスから入室の許可をもらって入っているから、勝手に扉を開けて様子を伺ったことがばれたのだろうか。
 ただ、怒られるだけで済むだろうか。ラズワルドの脳内をいろんな思いが駆け巡る。
 しかし、マークスはそのまま部下二人の前までやってくると、いつも通り、眉間にしわを寄せたまま、二人を見下ろす。

「…ラズワルド、ピエリ。いいところに。少し、話を聞いてくれないか」
「へっ…?」
「お話?」
「ああ、少しで構わない」

 怒られるだろうと思って身構えていたラズワルドであったが、そんなことはなく、マークスの口から出てきたものは、ただ、相談に乗ってほしいとの一言だった。
 怒られないのであったら、それはそれで構わないし、主君であるマークスが話を聞いて欲しいと言うのなら、それを受けない他にない。

「ええっと、僕たちでよければ…」
「マークス様。どんなお話なの?」
「……その、カムイのことだ」
「カムイ様…」

 マークスに招かれた二人は、彼の執務室に入室すると、その中で主君の話を聞いていた。
 カムイという女は、このマークスの義理の妹であり、この軍を支える中心といってもいい人物である。
 ラズワルドの思い違いでなければ、ここのところ、マークスとカムイの二人はいつも一緒にいるような気がする。マークスが軍に加入して、カムイと共に闘うようになってからというものの、これまで、北の城塞で暮らしていたころより、距離が縮まったのか、ラズワルドにとっては、マークスとカムイの二人は恋人同士ではないのかと思い込んでいた。

「……カムイに贈り物をしようと思うのだが、どんなものがいいだろうか」
「…贈り物、ですか…」

 とても真剣そうな顔で呟かれた言葉に、ラズワルドもまた、真剣そうに床に視線を落とす。
 マークスが困っているというのなら、それに応えないわけはないだろう。
 というか、マークスとカムイの二人は恋人ではないのだろうか。そう思ってラズワルドがマークスを伺おうとすれば、隣にいたピエリがにこにこと微笑んでいた。

「そういうことだったら、マークス様のお役に立ちたいの。ピエリ、カムイ様に直接聞いてくるの!」
「ま、待て、ピエリ!」

 きらきらと明るい表情で言い放ったピエリに、マークスは慌ててそれを止める。さすがに、直接言われてしまえば、困るものがある。
 マークスの声に、ピエリはしぶしぶといった様子で戻ると、考え込んだ。

「カムイ様は、マークス様からいただくものだったら、なんでも嬉しいと思うの」
「…なんでも…か。確かに喜んでくれそうだが、そういうわけにもいかないだろう」
「…マークス様は、どうしてカムイ様に贈り物をしたいんですか?」

 なんでもいい、と話すピエリに、マークスの眉間のしわはさらに寄せられる。義妹のために贈り物をしたいと言うよりは、恋人に贈り物をしたいようにラズワルドには見えてしまった。
 二人は血のつながったきょうだいだと思っていたが、噂によれば、実際は血がつながっていないのだという。
 長い間、義兄妹として過ごした年月は変わらないが、二人が想い合っているというのならば、それを応援してあげないという選択肢はラズワルドにはない。

 なぜ、贈り物をしたいのかと問われたマークスは、小さくため息をつくと、どこか愛おしげに、瞳を細める。

「…そうだな。贈り物をしたいという理由は……何より、カムイの笑顔を見たいから…だろうな。カムイが喜んでくれれば、それでいいのだ……」

 瞳を細めて、カムイについて話すマークスは、とても優しい表情をしていた。その表情に、部下の二人も思わずにこりと微笑んだ。
 マークスがこのように優しい表情を見せるのは、他でもない、カムイだけだ。

「うふふ、マークス様。それ、もう答えは出ているのよ。マークス様がじっくりと考えてあげたものなら、カムイ様はお喜びになるわ」
「…そうだろうか?」
「そうですよ!だって、そこにはマークス様の気持ちが込められています。カムイ様のことを考えて、贈り物を選んだ時間は、それだけでとっても大事な時間なんですよ」
「……ふむ。分かった。では、今すぐ買い物に出てこよう。すまないが、部屋を空けるぞ」
「いってらっしゃいませなの!」
「お気をつけて。きっと、カムイ様もお喜びになりますよ」

 ラズワルドとピエリの言葉に、マークスは頷くと、彼はカムイの為に歩み始める。
 他でもない、主君とその大事なひとのことである。直接、恋人だとか、大切なひとだとか、そういうことは聞いたことはなかったが、あの背中を見る限り、マークスにとってのカムイが、大切な存在であることは変わらないだろう。
 願わくば、あの二人が幸せでありますように。そう思わずにはいられなかった。







 マークスは、カムイの部屋へと向かっていた。特に何も言わなかったので、カムイが部屋にいるとは限らないし、もしかしたら疲れて眠っているかもしれない。
 太陽は沈み、月が顔を出している時刻だった。
 マークスは、カムイの部屋へと続く道を上ると、そっと扉を叩く。まだ、起きているだろうか。

「……兄さん?」
「カムイ…こんな遅くにすまない。おまえに会いたくて、来てしまった」
「え、えっと……そ、外は冷えますから、入ってください…」

 扉を開けて、出てきたカムイは、いつもの鎧姿とは違い、過ごしやすそうな格好をしていた。夜に、あっさりと男を部屋に招き入れてしまうことに、マークスは少々気になったが、それをこらえて部屋の中に入った。
 招かれたマークスの手には、カムイへの贈り物が入った小さな箱が握られている。
 早く、それを渡したい。そう思っていると、突然の訪問だったからだろうか、カムイはあわあわとテーブルにティーセットを出し始める。

「…カムイ。茶はいらないぞ。…おまえに話があってきたのだ」
「え、で、でも。せっかく兄さんが来て下さったと言うのに…」

 せっかくだから、というカムイに負けて、マークスは彼女がティーセットをこちらに持ち出すのを見つめていた。これまで、北の城塞で暮らしていたカムイは、当然ながら茶など淹れたことはなく、食事ですら作ったことはなかった。だがしかし、この軍で色んな者と触れ合ううちに、それも変わり、いまでは茶を淹れられるようになってきたのだという。

「…今日は美味しく淹れられるといいんですけど…」

 なぜか、苦く、渋くなってしまうのだというカムイの様子を、マークスはじっくりと見つめる。早くカムイと話がしたくてやってきたものの、カムイがマークスのために何かをしてくれると言う事は、悪くはない。

「はい。兄さん、どうぞ。熱いから気をつけてくださいね」
「…すまない。いただこう」

 マークスは、ティーカップに口をつけると、口内にほのかに甘く香る紅茶が入ってきた。カムイは、苦味を増してしまっただの、渋くさせてしまっただの言っていたが、実際はそれが上達してきたのだが、香りも申し分なく、味ももちろんいい。

「……ど、どうですか…?」
「…ああ、美味しい。いい香りだ…」
「よ、よかった…また苦くさせちゃったらどうしようかと…」

 マークスが微笑んだことに、カムイもまたほっと息を吐くと、そのまま落ち着いた様子でチェアに腰かけた。
 さて、カムイに話をしなければならない、とマークスは思うと、手の中にあった小さな箱を、彼女に差し出した。

「…兄さん、これは…?」
「受け取ってほしい。おまえに贈りたかったのだ…」
「あ、開けてもいいんですか…?」
「もちろんだ。開けてほしい…」

 突然、マークスに贈り物をされて、カムイは少々驚いているように見えた。大きな瞳を丸くさせて、興味津々に箱を見つけている彼女に、マークスの口元は優しげに緩められる。

 カムイに何をあげたら喜ぶのか。マークスはそればかりを考えていた。もしも気に入らないものであったらどうしようなどと、そんなことさえ考えていたものだから、彼女の細い指先が箱を開けていく光景を、彼は思わずじっと見つめる。

「……わぁ、可愛い…」

 蓋を開けて現れたそれにカムイはきらきらとした笑顔を見せると、その表情にマークスはホッと肩を落とした。
 中に入れていたものは、花の形を模した髪飾りであった。ここのところ髪が伸びて来たのか、ときどき髪を耳にかけている姿を見ていたので、これなら邪魔になることはないだろうかと思ったのだ。

「兄さん…これ、つけてもいいですか?」
「ああ、構わない……つけてやろう」
「す、すみません…」

 さっそく、着けてくれるのだというカムイに、マークスは椅子から立ち上がると、カムイの手のひらにある髪飾りを受け取り、それを彼女の髪に着けようとする。
 瞳を閉じて、じっと待っているカムイに、マークスの喉が鳴る。

 ほんの少しでも、この距離を縮めれば、唇を触れ合わせる事だってできる。
 しかし、マークスはそれを堪えて、カムイの髪にそれを着ける。
 無理やりに触れようでもすれば、カムイが怯えてしまうかもしれない。体格も、歳も離れているのだ。ただでさえ、身体が大きいということで、威圧させるかもしれないのに、年上の男に迫られでもしたら、彼女は驚いてしまうかもしれない。

 なにより、まだまだカムイはマークスのことを義兄として見ているかもしれない。それを取り払って、カムイがマークスのことを男として見てくれたら、それに勝る嬉しさはない。

「……誕生日おめでとう、カムイ……おまえにたくさんの幸運が訪れることを願うばかりだ…」
「ありがとうございます……。兄さんがこうして、贈り物をして下さるだけで、私は幸せですよ…」
「ふふ。そんな嬉しいことを言ってくれるのか……」

 カムイの頭を撫でて、マークスは優しく微笑む。頭を撫でるのは、まだまだ義妹に接するようなことだが、それが少しずつ変わりゆけばいい。

 やさしき女の視線の先に映るものが、自分であればいい。まだ今は、こうして義兄として慕ってくれるだけでも、嬉しいものだとマークスは思う。
 だがせめて、これだけは許して欲しい、とマークスはカムイの手を取り、手のひらをこちらに向けさせると、そこに唇を落とす。

 ちゅ、と優しく音を立てて唇を離し、顔を上げると、いつも明るく花のような笑顔を浮かべるその顔を、真っ赤にさせているカムイがいた。まさか、キスをされるとは思ってもみなかったのだろう。
 愛おしいその女に、マークスは瞳を細める。その手のひらに込めたキスの意味に気がついた頃、それが彼の楽しみであった。



Happy Birthday チョコラちゃん!(^∇^)

2015/10/9 みゆ

フォロワー様のお誕生日に差し上げたものでした。

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