赤に染まりゆく


 その日、カムイは朝から剣を手に、一人鍛錬をしていた。

 ここのところ戦が無く、軍資金や備品の在庫などの整理や管理に明け暮れていたからなのか、身体がなまっている様な気がしていてならなかった。

 カムイの持つ神器、夜刀神・長夜は、彼女が持つにはやや大きい刀身であったが、持ち主を自ら選んだそれは、彼女の手にとてもよく馴染んでいた。


 剣を高く振り上げて、目の前にいる敵を斬るかのように振り続けるカムイは、素振りに夢中になっていて、近くに人が寄ったことに気がついていなかった。


「……カムイ、精が出るわね。」

「…っ…カミラ姉さん!」

「あら、驚かせてしまったわね。ごめんなさい。…隣、いいかしら?」

「はい、どうぞ…。」


 カムイのそばに寄り、彼女に声を掛けたのは、義妹であるカミラであった。

 いったいどれだけの時間を剣の素振りに費やしていたのか、カムイの額や頬には汗が滲んでいて、それによる身体の熱も上がっていたのか、彼女の頬は赤かった。

 カムイは向上心が高いのはもちろんのこと、それ以外でなくても仲間を思う心もとても美しい。

 心まで美しいその娘の横顔は、カミラが少し前まで見ていたあどけない少女から、ひとつの覚悟を決めたような、美しい女性の顔をしていた。


「…カミラ姉さん?どうかしましたか?」

「いいえ……何でもないわ。ただ、あなたが可愛らしいと思って見ていただけよ。」

「ま、また姉さんはそんなことを…!」

「ふふ、顔が赤いわよ、カムイ。」


 カミラの視線に気が付いたのか、カムイは不思議そうに首を傾げて義姉を見た。


 カムイが美しく成長しているのは、彼女自身の覚悟だけではなく、彼女の隣にいるたった一人の存在も関係しているのだろう、とカミラはカムイの左手の薬指にはめられている指輪を見て思う。

 ずっときょうだいとして暮らしてきた二人が、その垣根を越えて夫婦という関係になったのは、しばらく前のことであった。

 カミラにとっての兄であるマークスと婚姻を結んだカムイは、名実ともにカミラの義姉となった。

 もちろん、そのことにカミラも驚いたが、時折二人で過ごしているところを見る限りでは、マークスはカムイのことをとても大事にしていて、カムイもまたそんな彼の隣にいることが何より心落ち着ける場所であると思っているようなのだから、義妹としてはカムイを、二人を祝福してあげたい。


 ふと、カミラはカムイの額やこめかみににじむ汗に気が付いて、手にしていたハンカチで彼女のそれを拭う。


「カムイ、汗をかいたままでは風邪を引いてしまうわ。」

「あ……姉さん、すみません。あとで温泉で汗を流してきます。」

「……温泉。うふふ。」

「ね、姉さん……いやな予感がするのですが……?」


 甲斐甲斐しく汗を拭ってくれるカミラに、カムイは申し訳なさそうにしながらも、にこりと瞳を細める義妹から逃げようとする。

 カミラがこういう瞳をするときは、だいたいよからぬことを考えている時である。

 そう思って、カムイは後ずさるのだが、彼女の身体は誰かによって拘束されることとなった。


「ベルカ!ルーナ!カムイを抑えるのよ!」

「……それが命令なら。」

「カムイ様!悪いわね、拘束させてもらうわ!」

「えっ、きゃ、きゃあー!」


 鍛錬場には、カミラとカムイの二人しかいなかったのだが、いったいどこから部下を連れて来たのか、突然、カミラの部下であるベルカとルーナが現れて、カムイを羽交い締めするかのように取り抑えた。

 どうやら、ベルカの竜にルーナを乗せて、二人で飛んできたようだったのだが、戦にも連れて行く大事な竜をそんなことに使わないで欲しい、とカムイは義妹の楽しそうな顔を見て思った。


 ベルカとルーナに腕を抑えられながら、カムイはにこにこと嬉しそうにこちらに近寄ってくるカミラを、ものすごく瞳を細めて見上げた。


「あらぁ、そんな顔をしないでちょうだい。姉さんは、妹と一緒にお風呂に入りたいだけなのよ。」

「……カミラ姉さん、楽しんでませんか?」

「そりゃあ、楽しいわよ…可愛い妹と、ゆっくりと…たのしーい…お風呂の時間を過ごせるのよ?これが楽しくないって言ったら、嘘になるわ。」


 義妹の笑顔はとても美しく、見ているこちらもその笑顔に憧れて、そのような大人の女性になりたいと思ったことはあるが、この日ばかりはカムイはカミラの笑顔がとても怖かった。


「せっかくだから、ベルカ、ルーナ。あなたたちも一緒に入りましょう。」

「え!あ、あたしも!?」

「………。」

「あ、どうせならマークスお兄様のところの子も呼びたいわね…声を掛けてみましょうか。」

「姉さん、ほんとに楽しそうですね…。」

「楽しいわ!みんなでゆっくりお風呂に入れる時間なんて、なかなか無いじゃない!」



 いつもは優しい義妹の笑顔が、やはり、今日ばかりは恐怖を感じる、とカムイは一人確信した。





 所変わって、ここは温泉であった。

 鍛錬のあとで汗を流しておきたかったのは本当だし、カミラと一緒に入浴しようが、カムイが一人で来ようが、どのみち目的地はここであったのだが、カミラがあれよあれよといううちにたくさんの人員を集めてしまったらしく、きゃいきゃいと明るい女性たちの声が響いていた。


「うぅ……なぜこんなことになってしまったんでしょう。」


 カムイは、自分の身体にバスタオルを巻き付けながら、なるべく皆と距離を取るように隅に腰を下ろし、湯に浸かっていた。

 この時だけ、目立たないようにすればいい、と思いながら、カムイはこの時間をやり過ごそうとするのだが、王族であり、この軍をまとめる大事な存在であるカムイが存在感を無くすことはできない。


「カムイ様、どうしてそんな隅っこにいるの〜?」

「ピ、ピエリさん。どうか私のことはお気になさらず……。」

「みんなで入った方が楽しいのに…カムイ…お姉ちゃんは寂しいわ。」


 このまま皆が自分のことを忘れてしまえばいいと思ったものの、そんな願いは叶うことはなく、カムイはマークスの部下であるピエリに手を引っ張られながら、場所を移動したのであった。

 せっかく皆での入浴を誘ったのに、隅っこにとどまっているカムイに、カミラはその美しいかんばせに陰りを見せながら、うつむいた。

 ああ、そんな顔をさせたかったわけでは、とカムイが思ってカミラのそばに寄り、義妹を見上げると、先ほどの悲しい顔はどこへやら、そこにはキラキラとした笑顔のカミラがいた。


「温泉にタオルを着けて入るなんて邪道よ!カムイ!!」

「えっ!ね、姉さんっ…!きゃあーー!!」


 カムイは、皆に身体を見られることが恥ずかしいからと言って、浴場までバスタオルを持ち込んでいたのだったが、それはカミラにとって厭うべきことだったらしい。

 カムイのタオルを取ろうとするカミラに、カムイは必死に抵抗する。


 同性であるのだから、別に、身体を見られても構わないのだが、今のカムイにはそれをどうしても拒みたい理由があったのだ。

 今のカムイの身体には、どうしても隠したいものがあった。それを見られてしまったら恥ずかしくてたまらない。


 だがしかし、カムイのそんな思いも叶わず、彼女はカミラによってタオルを取られてしまった。


「……あら。」

「…あらあら、若いわね。」

「まぁ……。」

「……だから嫌だったのにー!!」


 皆の視線が集中して、カムイはこれまでにないくらい顔を真っ赤にさせて、身体を隠す。

 しかし、カミラとカムイの騒ぎに注目していた皆には、それが見えてしまう。

 カムイの身体にあるそれに、カミラは少しだけ驚き、そのやり取りをじっと見つめていたニュクスは一言つぶやき、エルフィはほんのりと顔を赤くさせた。

 皆の視界に映ったのは、カムイの胸元や、腹部、太もものあたりにまでに至り、赤い痕があったのだ。


 そのような痕をつけるなんて、この軍にはたった一人しか思い当たらない。

 まざまざと、夫婦の仲の良さを見せ付けられたような気がして、カミラは思わずくすくすと笑う。


「……そういうことだったのね…カムイ……。」

「…ううぅ…もうお嫁にいけません…。」

「いや、もう嫁に行ってるだろうが!」

「そうでした……ああぁ、恥ずかしすぎて穴があったら入りたいくらいです……。」


 明らかに、泣き出しそうになっているカムイに、カミラはごめんね、と謝りながらも、彼女の頭を撫でてやる。

 混乱しすぎているカムイに、思わずシャーロッテが地を出してつっこみをしつつ、皆は楽しいひと時を過ごした。



 そして、カムイは温泉から出て、自室へと帰ろうと思ったのだが、湯から上がり、着替えを済ませた頃から、視界がぐらぐらと揺れていることに気がついた。

 視界が定まらなくて、自分が今どこに立っているかすら分からなくなってくる。

 きっと、湯に浸かりすぎてのぼせてしまったのだ、とカムイが思った時には、彼女の身体はぐらりと揺らいでいた。






 そしてその頃、カムイの夫であるマークスはというと、執務室にて、軍議のための資料を読んでいた。

 これからどのように兵を動かして行くか、怪我が長引いている兵はどれだけいるのなどと、そういった資料を読み込んでいた。

 しばらくそんなことも続けていると、目の奥に疲れを感じてきて、マークスはふう、と小さなため息をつく。

 そういえば、カムイのことはまだ見かけていないが、今は何をしているのだろう、とぼんやりと彼女のことを考えていると、不意にマークスのいる執務室の扉が荒々しく叩かれた。


「マークス様!!」

「…ラズワルドか。どうした、そんなに慌てて。」


 扉の向こうにいるらしい人物に、マークスが入れ、と入室を促すと、そこには彼の部下であるラズワルドが肩で息をしながら立っていた。

 普段は、扉を荒々しく叩くような真似もしないし、こうして息を切らせてくることもあまりないので、驚いてマークスはラズワルドを見る。

 それに、ラズワルドはすうっと息を吸い込むと、口を開いた。


「カ、カムイ様が…倒れたって聞いて……。」

「…何!?」

「す、すみません。ピエリから聞いたのですが、どうしてもマークス様に伝えなきゃと思って…。」

「……あ、ああ。…それで、カムイは今どこへ?」

「今はお部屋で休んでいると聞きました……。」

「そうか、すぐに様子を見て来よう。ご苦労だったな…下がっていいぞ。」

「はい!」


 ラズワルドから告げられた言葉に、マークスは動揺を隠し切れずにいた。

 けれど、兵の士気というものは、兵を率いる者によって左右されるものだ。マークスはどうにか平静を保つようにして、ラズワルドを帰したものの、彼の心の中は穏やかではない。

 資料を机に置いたままで、マークスは執務室を出ると、カムイの部屋へと足を運んだ。







 頭がふわふわする。

 身体がぽかぽかと暖かくて、心地がいい。しかし、しばらくじっとしていると、やはり身体が熱いような気もする。

 カムイがぼんやりと瞳を開けると、視界いっぱいにマークスの姿が見えた。


「………マークス様。」

「起きたか……ラズワルドから、おまえが倒れたと聞いた……大事ないか?」

「……倒れた…?…ああ。」


 まだぼんやりとする意識の中で、カムイは辺りをキョロキョロと見渡すと、そこは自室であった。

 いったい誰が運んできてくれたのか、とカムイは考えながらも身体を起こし、膝を抱える。

 しばらく、その体勢のままでぼーっとしていると、不意にカムイはマークスに抱き寄せられて、大きな腕の中に閉じ込められていた。


「……身体が熱いな…風呂にでも入っていたのか?」

「……鍛錬をしていて、汗をかいてしまったから…。」

「のぼせたというわけか……何か病気でもかかったんじゃないかと焦ったぞ。」

「…マークス様でも焦ることなんてあるんですね。」

「……言ってくれるな…その口、塞いでしまうぞ?」


 のぼせにより、ぼんやりとしていたのだったと理解したマークスは、彼女の存在を確かめるかのようにその背を撫でた。

 しかし、腕の中のカムイは、いつもよりにこにこと笑顔で、素直な感想を告げた。

 彼女の中のマークスはどんな人物なのか、気になるが、マークスからしたら、カムイのことだと余裕は無くなるし、心を容易く奪われる。

 唇を塞ぐぞと、マークスが言えば、カムイはどうぞと言わんばかりにマークスに体重を預けて、ほんの少しだけ唇を突き出した。


 それならば、遠慮なくとマークスはカムイの唇に自らのそれを触れ合わせると、カムイは彼の背中に腕を回す。

 いつもよりも甘えてくる彼女に、マークスは気を良くしながらも、彼女を気遣ってすぐに唇を離す。


「……さっき、カミラ姉さんたちと一緒にお風呂に入ってたんですけど………からかわれました。」

「うん……?……ああ。」


 熱も若干引いて来たのか、カムイは瞳にはっきりとした光を灯しながらも、さきほどの女性陣で入浴したひとときを語り始める。

 からかわれた、というカムイに、マークスは一瞬なんのことだが分からないといった表情を見せたが、それがすぐに彼女につけた痕のことだと理解した。


 カムイの肌はとても白くて、その色はまるで純白の雪のようであるとマークスは思う。そのような白い肌に何も残さぬというのは、無理な話であるのだ。


 マークスは、抱きついているカムイの耳元に触れて、情事を匂わせるようなしぐさで彼女の耳を指先で弄ったあと、その手のひらをカムイの喉元に這わせながらその服を乱し、彼女の首筋に顔を埋める。


 マークスのその行動に、カムイは身の危険を感じて後ずさるが、腰に回された彼の腕の力が強くて逃げ出すことはできなかった。


「あ、あのー…マークス様?」

「おまえの綺麗な肌に痕を残すなというのは…無理な話だな……出来ることなら身体中に痕を付けて、おまえは私のものであるということを知らしめたいと思うほどなのだから……。」

「…っ…マークス様、手が……。」

「ん……どうした?」


 逃げ出すことは叶わないカムイは、せめてマークスの気を逸らそうとするのだが、彼の手のひらはカムイの胸元から腹部まで降りてきて、服の上からさわさわと撫で始める。

 これは、まずい。このまま彼の調子に巻き込まれては、確実に翌朝がつらいだろう。

 日は暮れ始めた頃ではあったが、二人の時間を過ごすにはまだ早い。


「…マ、マークス様!まだお日様が出てますよ!」

「…ああ、そうだな。」

「それに、お仕事だってまだ…っ…あっ……!」

「問題ない。粗方片付いている。」


 時間が早いことと、仕事のことを持ち出してカムイはなんとかこの状況を脱しようとするのだが、マークスの手のひらがカムイの太ももをなぞり、腹部から胸元まで再度撫でられて、カムイは思わず声を上げた。

 見つめたマークスの瞳の奥に揺らめく炎を見つけてしまい、カムイは身の危険を感じた。

 こうなると、抵抗することは無駄なのだが、彼の体力を侮ってはいけない。

 最中に思わずカムイが泣き出してしまうほど、彼によって深い快楽の渦に引き込まれて、溺れてしまうのだ。


「っあ……!」

「カムイ……おまえは…私のものだ……。」

「…っ…!」


 そのまま、服の中に入り込むマークスの大きな手のひらに、カムイは甘くため息をつきつつも、首筋を強く吸われる感覚に息を吐き出しながら、その熱を受け入れた。



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