あふれる熱


 身体の火照りがずっと消えず、苦しくてたまらなかった。

 全身を蝕むその熱のせいで思考はうまく働かず、何か言葉を発しようにもただうわ言のような言葉だけが口を出る。


 やっと口を開き、声を出そうとすると、喉がひりついてうまく発することは出来なかった。


「……ぁ……。」


 ぼんやりとする視界の中、カムイが何かを探すように手のひらを彷徨わせていると、不意にその手のひらが何者かに包み込むようにして掴まれた。


 その手のひらの温もりの主が誰なのか、カムイは焦点が合わないままで探そうとしていると、それは彼女の愛おしい夫、マークスの姿であったことに気がついた。


「……カムイ、体調はどうだ?」

「………っ………ぁ…。」

「思うように喋れぬか。…少し待て。」


 その声に、カムイは心の落ち着きを覚え、その名を呼ぼうとするのだが口をついて出るのは頼りない呼気のみであった。

 カムイのそばに寄ったマークスは、彼女が寝ている寝台の隣にあった水差しから水をグラスに注ぐと、それを口に含んだ。

 そしてそれを含んだまま、空気を求めて開かれていた彼女の唇に触れた。


「……ん、…んくっ…ん…。」


 急に水を飲ませては呼吸困難になってしまう恐れがあるので、マークスは少しずつ水を口に含み、まるでカムイに口付けを繰り返すかのように彼女に触れて行った。

 熱を発している身体は唇や舌まで熱く、その熱い身体に触れるたびにマークスは彼女に劣情を抱いてしまいそうになった。


「……ん、っ……は……マ、マークス…さま…。」

「……具合は、どうだ?」

「…はっ……はぁ……。」


 先の戦いで負傷して、療養につかなくてはならなかったカムイは、そのしなやかな身体に包帯を巻きつけて、裂傷による発熱に苦しんでいた。

 カムイが身体を起こそうとしたので、マークスはそれを制すると、カムイは寝台に横たわったままで彼を見上げた。


「少しだけ頭がぼんやりしてしまって…。」

「そうか。痛みは無いか?」

「…痛みは…あまり無いです。ただ、身体が痛くて…。」

「…熱が出ているからな。」


 発熱のために身体の節々の痛みを訴えるカムイに、マークスは眉間にしわを寄せる。

 鎧が激しく損傷するほどの怪我を負ってしまったカムイは、胸のあたりから腹部まで、腕や脚にいたるまで包帯を巻きつけた痛々しい姿を晒していた。

 薬が効いているのか、今は出血もだいぶ治まったが、それでも彼女の身体は発熱してしまい、自身を苦しめている。


「カムイ。包帯を替えよう。」

「……え…?」

「汗をかいたままではつらいだろう。」

「あ…え、えっと…。」


 思わぬマークスの申し出に、カムイは明らかに狼狽えた様子を見せた。

 包帯を替えるということは、彼に素肌を晒してしまうということで、それを瞬時に理解したカムイは、これまでにないくらい顔を赤らめてしまった。

 それに、マークスはくすくすと笑うと、優しくて大きな手のひらで彼女の頭を撫でた。


「ただ、包帯を替えるだけだ……さすがに熱を出して苦しんでるおまえに手を出したりなどしないさ。」

「……ぅ…はい。」

「いい子だ……痛かったら言いなさい。」

「はい…。」


 瞳を細めて笑うマークスに、カムイは恥ずかしそうにうつむきながらも、彼に包帯を替えてもらうために身体を起こす。

 それを手伝ってやりながら、マークスは彼女の柔肌に巻き付けられた包帯をするすると取っていく。

 少しずつあらわになっていく彼女の白い肌は、あちこちに古い傷や真新しい傷などがあるが、その中でも今回負った傷はより痛々しく、マークスは思わず顔をしかめる。

 険しい顔をしたマークスに、カムイはどこか悲しそうな瞳をして、彼の頭を抱いた。


「……ごめんなさい。」

「…何故謝る?」

「…頭に血が上ってしまって…身体が動くのを止められなくて。」

「………。」


 カムイは先の戦いで負傷することとなったが、それはマークスを庇おうとして負ったものだった。

 マークスは他の誰よりも強く、負けることもなかったが、そんな彼でも魔法攻撃の応酬にはあまり適してはいない。

 無論、多少の攻撃には耐えられるが、魔導を扱うものに集中して狙われては、彼とて苦しい状況に襲われる。


 何にも欠かせない、愛おしい人が魔導の力に苦しみ、傷を負って顔をしかめているのを見ただけで、カムイは普段は冷静にものを捉えるその瞳を熱く燃え上がらせ、たった一人で敵陣に歩みを進めたのだ。

 暗夜のものも、白夜のものにも、誰にも傷を負わせたくないと思いつつも、それ以上にマークスを傷つけることは彼女にとって耐えられないことだったのだ。

 カムイは、幸いにも魔導に対する免疫は優れていたため、魔導士や呪術士などの攻撃には怯むことなく、その身を竜に変えながら、辺りの兵を一掃してしまった。


 辺りの兵を蹴散らして、マークスがカムイの元へと駆け寄った時には、カムイは苦しげな呼吸を繰り返し、敵陣の真ん中で倒れていた。

 押し寄せた敵は、魔導を扱うものだけではなく、剣や槍を持ったものもいたのだ。それによる攻撃でカムイの鎧は激しく損傷し、敵兵のものなのか、彼女のものなのか、判断はつかなかったが、おびただしい量の血に塗れていた。


 カムイはマークスを守りたかったのだと言うが、血塗れでぐったりと横たわっていた彼女を見て、彼がどんな想いを抱いたのか、彼女は分からないだろう。


 カムイの言葉に、マークスは彼女の腕の中から抜け出すと、包帯をゆっくりと外して行き、まだ傷の残る彼女の白い肌を見つめた。


「…マークス様?」

「………。」

「……あ、あのう…。」


 上半身に巻かれた包帯を取られては、カムイは何も身につけるものがなく、彼に素肌を晒してしまう。

 白い胸を晒している状況に、カムイはどきどきと鼓動を跳ねさせながらも、早く包帯を巻いてくれないだろうかと思った。

 そんな彼女の思いは知らず、マークスはそっと手のひらを伸ばして彼女の白い胸に触れると、いちばん古いであろう傷に触れた。


「…マ、マークス様ってば…。」

「………戦がなければ、おまえの肌にも傷はつかなかったかもしれないな……。」

「………。」


 ぽつりと、どこか悲しい表情でつぶやいたマークスに、カムイは驚いた表情を見せる。

 剣をとった頃から、自分の身体や心が傷つくことは理解していたけれど、他でもないマークスに悲しそうな表情をさせてしまうと、カムイは何故だか泣きたくなってしまう。

 全く傷を作らないことは無理だが、自分を心配してくれて、大事にしてくれる。そんな存在がとても愛おしいのだ。


「……マークス様。」

「ん……?」


 カムイは、おそるおそる、マークスの頭を胸に抱くと、指先に彼の柔らかな金髪を絡ませて、その額にそっと口付ける。


「……私は、剣を取ったことを後悔していません。傷付くのは痛いし、嫌だけれど……それよりも、私はあなたが傷付くところを黙って見ているなんて……出来ません…。」

「……カムイ。」

「だから、私はこれからも剣を振るいます。あなたが傷付かなくていいように……。」

「………。」


 マークスは、そっとカムイの腕の中から抜け出して、代わりに彼女を抱き締めると、その白い背を撫でる。


「……その願いは、聞き入れられないな。」

「どうして…!」


 マークスに否定されたことによって、カムイはその瞳をわずかに潤ませる。

 しかし、そうではないと、マークスがカムイをなだめると、濡れた彼女の目元に口付ける。


「…おまえを守るのは、私の役目なのだ……どうか危ないことはしないでくれ。血だらけのおまえを見たとき、心臓が止まってしまったかと思った。」

「………。」

「……だが、こう言ったらおまえは譲らないのだろうな。…無茶だけはするな。私の背中はカムイに預ける。」

「マークス様…!」


 マークスを守りたいというのに、その願いを聞き入れてくれないのかと思って、カムイは泣き出しそうになったが、瞳を細めたマークスに頭を優しく撫でられて、カムイはまた別の意味で泣きそうになってしまった。

 しかし、涙を抑えることができなくて、カムイは泣いてしまうと、その涙を拭ってくれた。


「こら、泣くんじゃない…。」

「…泣いてません…気のせいです……っ…。」

「そうか。気のせいか……はは。」


 カムイの指とは違う、大きく武骨な指先で涙を拭ってくれたことが嬉しくて笑うと、カムイの強がりにだろうか、彼は笑った。


「…もう、笑わないで下さい。意地悪…。」

「意地が悪いのではなく、カムイが可愛いからつい…な…。」

「そ、そんなこと平気で言わないで下さい……くしゅっ!」


 そうして、話しているうちに、カムイはくしゃみをしてしまう。

 それに、カムイはそういえば包帯を巻き直して貰っている途中だったことを思い出して、顔を赤らめて、おずおずと胸を隠した。


「……風邪を引かせてしまうな。」

「………。」


 そのくしゃみに、マークスも我に返ったらしく、手際良く新しい包帯を巻きつけて行った。


 すぐに包帯を替えてもらったカムイはマークスににこりと微笑む。


「ありがとうございます、マークス様…。」

「ああ、構わない。…それより、食事にしようか。カミラがカムイのために食事を作ると言ってきかなかったんだ…たくさん食べてくれよ。」

「カミラ姉さんが…?嬉しい…。」

「本当は私が作ろうと思っていたのだが、カミラに押し切られてしまってな……。」

「ふふ。」

「ああ、そういえば、レオンとエリーゼもおまえのために薬草を用意したと言っていた。」

「レオンさん、エリーゼさんまで……。」


 マークスに、寝台に寝そべるのを手伝ってもらいながら、カムイは彼を見上げると、彼女を取り巻く優しさに瞳を細める。

 カムイが早く良くなるようにと、カミラが食事の用意をしてくれたことはもちろん、傷の治りを早めるために、レオンとエリーゼは薬草を用意して、調合してくれたということに、カムイは唇を噛み締めた。


 カムイの周りは、こんなにも暖かくて、愛に満ち溢れている。

 無論、いちばんの愛を与えてくれて、愛を教えてくれたのは、カムイのすぐ目の前にいる人だ。


 その優しい笑顔が何よりも愛おしくて、思わずカムイは彼に抱き付いて、その唇に自らの唇を触れ合わせた。

 突然のカムイからの口付けに、マークスは驚いたようであったが、すぐに彼女の首筋に手を添えると、彼もまた口付けを返した。

 軽く開いた唇を噛まれて、舌を取られて、息の続かなくなったカムイが唇を離せば、そっと抱き寄せられた。


「……はっ……。」

「……続きは、熱が下がってからだ。」

「……っ…マークス様…。」


 いつもより低い声に耳元で囁かれて、カムイはドキリと心臓の鼓動を高鳴らせながらも、マークスの腕の中で瞳を閉じた。


 寄りかかった彼の胸元から、どきどきと脈打つ鼓動を感じる。

 その音にカムイはひどく落ち着くのを感じながら、もう一度彼に口付けようと、顔を上げた。




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