焔が揺らぐ


 本当の兄だと慕っていて、何より大切な存在だと思っていたマークスと、婚姻を結んだのは少し前のことであった。
 兄だと思っていた人が、ある日急に男に見えて、困惑してしまったのは言うまでもなく、カムイは彼が待ち受けている 自室に戻るたびに動揺したり、胸を高鳴らせたりしていた。
 血の繋がらないきょうだいであったことを知った時は、多大なショックを受けたものだったが、長年、 妹として過ごしてきた歳月は容易に崩せるものではなく、それでもカムイの心の奥でも、マークスを大切 に想う気持ちは確かに存在していて、彼と過ごす時間が楽しみなことは確かだ。
 戦場では、彼に背中を預け、手を取り合い戦っているが、暗夜王国の第一王子たるマークスの姿と、 カムイだけに見せるマークスの姿というのは、若干違っているようだった。


 顔が熱くて、彼に触れられている場所が沸騰してしまいそうだと、カムイは瞳を閉じながら思った。
 戦場から帰り、つかの間の休息を味わっていたカムイは、夫であるマークスと自室にて寛いでいた。
 しかし、カムイにとってはまだ落ち着けるものではなく、彼女はドキドキと胸を高鳴らせながら、 この時間を過ごしていた。

「……顔が赤いぞ、カムイ」
「…だ、だって……そんなこと…されたら……」

 今、目の前にいる男は誰だろう、と疑問に思ってしまうくらいには、優しい彼の手のひらと、 優しい声にカムイは困惑していた。
 ソファのすぐ隣に腰をかけたマークスは、手のひらをカムイの首筋に添わせながら、 先ほどまで彼女の唇を求めて触れ合っていた。
 戦場に立っているときは、これまでの関係からつい兄と呼んでしまう時があるが、 自室で二人の時間を過ごしているときは、兄と呼ぶたびに彼にどきりとさせられるような事をされてきた。
 名残惜しそうに離れて行った彼の唇に、カムイはあわあわと困惑して顔を赤くさせながら、じりじりと ソファの上で後ずさっていた。

「…こら、逃げるんじゃない」
「……ん、…んぅ……」

 首筋に添えられた手のひらにも、カムイはぞくりと何か言いようのない感覚を味わってしまう。
 心臓を締め付けられるような感覚から逃げたくて、後ずさったのだが、退路を塞がれるように彼 の手のひらがカムイのすぐ横に置かれると、ふたたび彼に唇を塞がれて、軽く下唇を噛まれた。
 それに驚いてカムイがびくりと身体を震わせ、思わず唇を開けると、その隙間から彼の舌が 入り込み、震える舌を絡め取られた。
 心臓の鼓動を高鳴らせていく行動の数々に、カムイは限界を感じて、思わずマークスの胸を押し返した。

「……ふぁ……ま、待って…下さい……」
「…どうした?」
「……どきどきしすぎて、息が止まってしまいそうです」
「……くくっ」
「わ、笑わないで…下さい…」

 カムイが押し返したことにより、マークスは不思議そうにしながらも彼女を離した。
 彼を制したその顔は本当に赤く染まっていて、そのような恥じらった姿ですら愛おしく思えてくる。

 ふと、マークスがカムイを見下ろすと、今の時期は戦から離れているということもあるのか、 彼女は普段の鎧とは違う服装をしていた。
 鎧を脱げば、彼女の普段の戦場との姿とは違い、華奢なことを思い知らされる。
 マークスは無論、体格も良く、背などもカムイとは比べるまでもないが、こうしてまじまじと 彼女を見てみると、腰も手足も、なにもかも細い。
 マークスの視線に気が付いたのか、カムイは不思議そうに彼を見上げた。

「マークス様?」
「…ん、ああ。…何でもない」
「ふふ、そうですか」

 言葉を濁すマークスにも、カムイは穏やかに笑うのみで、彼女のそんなところがマークスに とっての居心地の良い場所であることを感じる。
 自分の身体をまじまじと見られていることには気が付いていない彼女をいいことに、 マークスは手のひらを伸ばし、腕や肩に触れ始める。

「あ、あの?マークス様?」
「………」
「マークス様ってば……」

 ぺたぺたと自分の身体を這っていく手のひらに、カムイはさりげなく逃げ出そうと試みるのだが、 それを知ってか知らずか、マークスは彼女が逃げないように腰を抱いた。
 すると、当然のことながら縮まる距離に、カムイは視線をそらし、顔を赤く染める。
 長年、カムイの兄として暮らしてきて、ある日その関係が夫婦に変わったわけなのだが、 二人の間に何も起きていないというわけではない。
 見下ろしたカムイの表情は、これから起きるであろうことに緊張しているのだろうか、 頬を赤く染めて、どこか心配そうにマークスを見上げている。

 意志のこもった瞳で前を見据え、歩み続ける彼女が、マークスだけに見せるどこか頼りない表情に、 胸を締め付けられるような思いに駆られてしまう。

 もっと、この縋るような瞳を見たい、美しい焔のような瞳が、ゆらゆらと色を変えるたびに、 マークスの胸の奥には彼女に対する情が芽生える。

 そっとマークスが彼女に近付こうと身体を屈め、口付けようとしたときだった。


「カムイ?いるかしら……あら。…お邪魔しちゃったわね。」
「姉さん、頼まれてた本…を…持ってきたんだけど……」
「カミラお姉ちゃん!レオンお兄ちゃん!どうして立ち止まるのー!?あたしも入らせてよー!」


 二人の甘い空気を打ち破ったのは、他でもない、マークスとカムイのきょうだいたちであった。
 どうやら、三人はカムイを訪ねてきたようであったのだが、カムイの部屋の扉のあたりには 、カムイにとっては義姉であるカミラと、義弟のレオンがいた。
 そして、その二人の影に隠れるようにして、義妹のエリーゼが立っていた。
 カムイはマークスにより、ソファに押し倒されるような格好で横たわっていて、そんな場面を 見られてしまったカムイの顔はみるみるうちに赤くなっていった。
 そしてその場面を目撃してしまったカミラは、にこにこと笑顔のまま、レオンとともに、 さりげなくエリーゼの視界を遮った。

 ちなみにマークスというと、妹たちに目を向けることはなく、いつも寄っている眉間を さらにきゅっと寄せて、瞳を閉じていた。

「お姉ちゃん!お兄ちゃん!そこにいたらあたし入れないってばー!」
「…エリーゼ、今はやめておきましょう。さあ、レオン。行くわよ」
「……あ、ああ…」
「なんでー!?もーっ…カムイお姉ちゃん、またねー!後でいっぱいお話ししようね!」

 エリーゼの視界を塞いでいてくれたことは、マークスにとっても、カムイにとっても助かったかもしれない。
 こんな場面を見られてしまったこと自体、気になるところだが、何も言わずに二人を促し出て行こうとするカミラに、 カムイはホッとした。


 二人の甘い空気はどこへやら、カムイはいまだにマークスに押し倒された格好のままで、 思わずくすくすと笑ってしまう。

「……鍵、かけるの忘れちゃいました」

「………ノックも無しに入るのはよせと言っておかんとな…」

 いつも以上に眉間にしわを寄せたマークスを愛おしそうに見上げながら、カムイは呟く。
 そんな彼女のこめかみに軽く音を立てて口付けながら、マークスは彼女の手のひらを取る。
 そしてその手のひらを、自らの首筋に抱き着かせるようにすると、カムイは嬉しそうに笑った。

「……カムイ…」

 優しげな声が鼓膜に響いて、カムイはその焔色の瞳をわずかに潤ませながら、彼が与えてくるその熱に身を委ねた。



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